いくつかの曲折を経て歩いているうちに、川上川の右岸に沿った道に出る。鳩待峠から一時間ほどかかって、ようやく坂のない歩きやすい道へ出た。少し緑の出かかった林の中を通って、川上川に架かっている橋を渡って左岸に出ると、林の中に建物が見えてきた。
最初に見えたのが山の鼻ビジターセンタで、続いて至仏山荘、山の鼻小屋、尾瀬ロッジと並んでいた。至仏山荘から少し離れた雪原の中に、ドーム型の青色と赤色のテントが二張り設営されていた。
三日ほど前に予約してあった山の鼻小屋で宿泊の手続きをした。二階には、尾瀬に咲く植物の名の付いた部屋が二十室ほどある。私の案内された部屋はニッコウキスゲという室名である。ほかにサワギキョウ、コケモモ、リンドウ、ワタスゲ、モウセンゴケ、リュウキンカ、イワカガミ、ミズバショウ、コバイケイソウ、ザゼンソウなどの部屋があった。
鳩待峠から山の鼻小屋に着くまで、前になり、後ろになりながら歩いてきた十人ほどの女性グループは、イワカガミという部屋に落ち着いた。午後九時の消灯近くまでにぎやかに話していた。
二、 高層湿原へ
翌六月七日、私は山の鼻小屋を出発して尾瀬ヶ原を通り、見晴十字路から沼尻を経て尾瀬沼東岸の山小屋に一泊して、六月八日に三平峠を通って大清水に出る予定であった。山の鼻小屋での朝食前後に何人がから得た情報によると、尾瀬沼畔の道から三平峠を越えて大清水へ出る道には、まだかなりの雪渓があって滑りやすく、ピッケルとアイゼンを持っていなければ危険であるといっていた。

 

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早朝に出発した人の中にも、尾瀬沼畔の道を経由して大清水に行くのを中止した人が何人かいたという。私もピッケルとアイゼンを持ってこなかったので、予定を変更して尾瀬ヶ原散策に時間をかけ、見晴十字路まで行ったあと、引き返すことにした。午前七時半ごろ山小屋を出発して尾瀬ヶ原へ向かった。
歩き始めてしばらくは、まだ一面雪原状態で木道は雪に埋まっている。少し行くと小さな流れを渡るために、ベニヤ板で造った仮橋があった。「二人以上渡れません」と書いてあった。形の良い至仏山を後にして、東北地方最高峰の標高二、三五六炉の燵ヶ岳を前方に眺めながら歩いた。
山ノ鼻と竜宮十字路の中ほどにある上田代の牛首辺りへくると、雪が解けていて木道が見えてくる。行き交う人も多くなり、木道周辺もにぎやかになる。読売旅行社、朝日旅行社などという旗を持った人に導かれた人たちの前になったり、後ろになったりしながら、広い湿原の中の木道を歩く。
尾瀬ヶ原は東西約六キロ、南北約一.五キロに及ぶ本州最大の高層湿原で、標高は千四百メートル、周囲には尾瀬ヶ原を挟んで北側には燵ヶ岳、景鶴山、八海山があり、南側には皿伏山、白尾山が、また南西方に至仏山があって、広々とした湿原を囲んでいる。
湿原性植物、地塘周辺の景観などの見どころはたくさんあるが、今年は雪解けが遅いので植物の姿はまだ少なく、地塘の所々に残っている雪が変化して、いろいろな姿を形づくっている。扇形に大きく広がったり、大きな鳥が翼を広げたようにも見え、とがったり、へこんだりしているのを眺めながら、思うがままに想像をたくましくするのも楽しいものである。

 

 

 

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